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5月15日という日

5月15日、この日が何の日か知っていますか。

答えは、、、

 

 

「Jリーグ開幕の日」

 

1993年5月15日、Jリーグが開幕しました。当時、サッカー少年だった私は「横浜マリノスVSヴェルディ川崎」の試合をテレビで弟と食い入るように見たのを覚えています。そして、「キングカズ」が眩しいくらいに輝いていたのを昨日の事のように思い出します。

余談はここまでにして、Jリーグが開幕した日を伝えたかったわけだはなく、5月15日はもっと大切な日なのです。それをみなさんにも知って欲しいと思います。

 

Jリーグ開幕日と同じ5月15日、この日が何の日か答えられる日本人はどのくらいいるでしょうか。全国ニュースでも大きく取り上げないので知らない人が多いかと思います。

 

1972年5月15日、沖縄本土復帰の日

1972年5月15日に沖縄はアメリカの統治から日本に返還されました。沖縄県民にとっては平和とは何かを考え、あの惨劇を繰り返してはならないと心に誓う一日です。太平洋戦争で日本の領土で沖縄だけが本格的な戦場となり沖縄県民の4分の1(約12万人)が犠牲になり、戦後27年間もアメリカ統治下となり、今もまだアメリカ軍基地が沖縄本島の15%を占めています。

少し、時代の流れを確認していきましょう。

1945年8月15日、日本はポツダム宣言を受諾し、終戦を迎えます。その後、GHQ主導の下、戦後改革が行われ日本は軍国主義から民主化へと変わっていきます。

1951年9月8日、吉田茂首をが第2次世界大戦中、我が国と戦争状態に入った連合国48カ国の代表とともに、サンフランシスコ平和条約に調印し、約7年間におよんだ占領が終わり、翌年4月28日に日本は主権国家として独立を回復しました。しかし、沖縄の本土復帰は認められず、沖縄では4月28日を「屈辱の日」と呼んでいます。

1972年に本土復帰を果たすまでに沖縄県は引き続きアメリカの統治下に置かれました。沖縄県民は本土に行くにはパスポートが必要でした。また、夏の風物詩の甲子園でも、他の都道府県の代表校は敗れた際に「甲子園の土」を持ち帰ることが定番となっていますが、沖縄県の代表校は敗れた際に、同じように「甲子園の土」を持ち帰ったところ、検疫で引っ掛かり、大切な思い出の「甲子園の土」を海に捨てられたそうです。また、当時小学生だった母は、国語ではなく英語の授業の方が多かったと言っていました。

こういった不便な生活を送っていました。この事を我々日本人はどれくらいの人が知っているでしょうか。

 

現在、日本は平和主義の下、「戦争放棄、戦力の不保持、交戦権の否認」を掲げ、平和な暮らしが続いています。しかし、過去の戦争の負の遺産を沖縄県が負う割合が多いのが事実です。現在も沖縄には不発弾がたくさん埋まっており頻繁にその処理が行われています。小学校の横でアメリカ軍基地から戦闘機が飛び立っています。祖母は悲惨な過去を思い出してしまうので「あの戦闘機を見たくない」と生前言っていました。沖縄県民にとって心休まる「平和」が訪れていないのが現状です。

こういった事実を知らない人も多いと思います。私たちは過去の出来事や時代背景にもっと関心を持って、世界中の人々が「平和」に暮らせるように一人一人が考えていくことが大事だと思います。我々は今、海外に住んでいて日本の情報がなかなか入手しづらいかもしれません。しかし、海外にいるからこそ「日本」という国がどういう国でどういった時代背景で今の日本があるのかを客観的に見れると思います。

中3の国語の教科書に「挨拶」という戦争についての詩が掲載されています。その詩の中で作者は、過去の人達が犯した過ちを決して繰り返してはならない、「平和」は当たり前じゃないことを訴えています。我々が暮らしているこの「平和」が当たり前ではなく、今も「平和」な暮らしを求めている人々がいることを常に頭に入れて行動していきましょう!

長津